おしゃべりしようよ!

今日は昨日より、強くやさしく、自由に。

自立して生きることと、親や子供のこと。

まだ腹の底の底まで染み渡って自分のものになっているわけじゃないんだけど、あともう一押しのところまで来てることについて。

 

1.「親のせい」「家のせい」の言い訳はもう必要ない。

 

恥ずかしい話、

「○○なのは親の育て方のせい」

「○○できないのは家の環境が悪かったせい」

と、社会人になってもまだ言い訳することがあった。

でもちょっと考えてみれば、親に教えてもらってなくても、他の人に教わったり、本で読んだり、自分で考えたり試したりしてできるようになったことがいっぱいある。

 

例えば、うちは実家が汚くて、両親とも家事が得意じゃない。

だから、きれいな家だとか、素敵な暮らしだとか、こだわりのある生活とか、絶対自分には無理だと思っていた。

お母さんから受け継いだレシピだとか、お父さんから習った靴磨きだとか、そんな素敵なストーリーは何ひとつない。

でも、私は出汁をとったり、洗い物をちゃんと片付けたり、いつの間にかできるようになった。靴も磨ける。

もちろん理想通りでも、完璧な毎日でもない。

でもそうやってできるようになったことがいっぱいあるから、これからまだまだできることも増えるし、もっと良くなれると思う。

 

「ネイティブじゃないから英語ができない。」と言って何も努力しない、文句を言いつづけるのと同じだった。

そりゃ逆立ちしたってネイティブにはなれない。

でも、できるようになったこと、もう手に入れていることだっていっぱいある。

それに自分が親になって思うのは、親にしてもらったことはとにかく覚えていないということ!

知らず識らずのうちに、教えてもらっていることも、絶対いっぱいある。

 

 

2.自分の願いを追求することは、親を否定することじゃない。

 

いい暮らしがしたい。仲の良い家族、家庭を作りたい。

美味しいご飯を毎日食べたいし、欲しいものを買って、着たい服を着たい。

他の人からしたら笑われちゃうかもしれないけど、そういうことを願うのは、どこかで親を否定することのように感じていた。

でも、もうそれも自分に許していいんじゃないかなーって。

これも自分が親になって思うけど、息子が自分の願いや希望を見つけてそれを叶えることを、私は自分が否定されることだなんてちっとも思わない。

どうぞご勝手にお幸せに。

 

 

3.親や子供の幸せを願っていい。

 

自分には変えられることと変えられないことがある。

変えられるのは自分だけ。

人を変えることはできない。

自分と他の人の幸せは別物。

「自立」とか「主体的」って、そういうことだと思っていた。

だから、親に幸せになって欲しいとか、子供に幸せになって欲しいとか、そういうのは胡散臭いし、おこがましいと思っていた。

でも、難しく考えないで素直になれば、親も子供も私にとってとても大切な存在で、「幸せになって欲しい」と願うのは理屈じゃなくてごく自然なことだと気がついた。

(もちろん、家族以外の友達や知り合いの人についても。)

割り切ったり、切り離したり、突き放したりするのが「自立」じゃないんだよなあ。

それってただの「孤立」だ。