おしゃべりしようよ!

専業主婦は可能性がいっぱい!

母、アイデンティティ、表現。

子供が生まれてから「自分ってなんなんだろう?」ということをよく考えるようになりました。

特に、母親であることと自分のアイデンティティの関係について考えるようになったのは、未来食堂を作った小林せかいさんの、日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞スピーチを読んだことがきっかけでした。

その中の「母であることに自分のアイデンティティはありません。」という部分がずっと自分の中でひっかかっていました。

「すごい。母であること以外に「自分」があるだなんて、なんてかっこいいんだろう!

それに比べて自分は「母」でしかなくて、一体自分のアイデンティティはどこにあるんだろう?」と思いました。

 

miraishokudo.hatenablog.com

 

今思えば、私は「母親以外の自分」というものが存在すると思って、それを探していました。

でも気がついたのは、まず、自分というもの(=アイデンティティ)は、言葉にして自分で分かることができるかどうかは関係なく、探さなくても確実にあるだろうということ。

なぜなら、自分はここに生きてるし。どう考えたって自分というものはあるだろう。

そして、「母」というのは一つの「役」だということ。

さらに、「アイデンティティ」は「役」を通じてしか現れてこないということ。

これらのことに気がつきました。

 

自分で言うのはおかしいかもしれませんが、私はもともと器用なこともあって、初めての子育てでもまあまあよくできていると思います。

でも、子連れでいることがスタンダードの毎日を過ごして、「良いお母さん」と言われることも多くて、「母親」としてしか人と接さない状態に違和感や不満を持ちつつも、その気持ちの正体が分かりませんでした。

気がつくと、「良い母親」「子連れである自分」に自分の価値を感じていました。

あるいは、母親以外の自分を探していることに気がつくと、「自分はただ子育てから逃げたいだけじゃないのか?」と思って罪悪感を感じたこともあります。

でも探していたのは自分ではなくて、自分を表現するための役だったんだなと気がついて、とても心が楽になったんです。

子育ても1年経って、大変ながら慣れてきたこともたくさんあって、もっと別の役を通して自分を表現してみたくなった時期なんだと思います。

役や表現といっても大げさなことではなくて、例えば私の場合、このブログを始めたことや、英語の勉強を続けていることも、そういうことだったんだなと納得しています。

 

役ということにもう少し補足します。

・降りれる役と降りれない役がある。

・自分で取りに行ける役、願ってもできない役、願っていなくても与えられる役がある。

・役の向き不向きはある。

・役の数は問題じゃない。

・役同士が干渉することもある。

また、演じるというと、嘘をつくとか仮面をかぶるとか悪いイメージもあるので、その役を通して自分をどう表現するのか、というのでも良いと思います。

あるいは、その役の中で自分がどう現れてくるのか、というのも面白いですね。

 

母親であることは、私にとって決して降りることのできない大役です。

もちろんそれ以外にも、妻であり、娘であり、姉であり、誰かの友人でもあります。

では、自分の本質的な部分、アイデンティティってなんだろう?

あんまり考えたことがないので、簡単には言葉にできません。

というか、表現しきることはできないだろうし、もしかしたら玉ねぎのように中は空っぽなのかもしれません。

が、変化を好むこと、本質的で優れたものを望むこと、あと、単純におもしろいことが好きなこと、この辺りは入ってきそうです。

 

人は誰かを演じているという、似たような話はよく聞きますが、自分で納得して言葉にすることにも意味があると思い書いてみました。

そして未来食堂。まだ行ったことはないので、早く行ってみたい!そして機会があるなら、小林さんが母とアイデンティティのことをどう考えているのか、詳しく聞いてみたいなと思いました。